夫婦喧嘩の上、見い出された新たな方向性
昨日、夫婦喧嘩をしました。夫婦喧嘩が勃発するトリガーはいつくかあるのですが、理由はここ十年位変わっていなくて、根本的には双方の言い分は以下の通りです。
埋まらない相手への期待値のギャップ
- 妻
- 家事、子育て、教育を一人でやってきた。あなた(夫)が仕事が大変なの判っているから何も言わず我慢してやってきた
- それなのに感謝の気持ちすらみせようとしない
- 家族、夫婦でいる意味を感じられない
- 色々と自分がやりたいこと(仕事含む)も抑えて今までやってきた
- 私
- 結婚以来、仕事がきつくても家族のために頑張ってきたつもり
- 今もそうだが、仕事が辛くて死にたいと思う気持ちがある中でやっている
- それも経済的に苦労をさせたくないから
- それなのに25日に給料が振り込まれることを当たり前と思い、振れば小判が出てくる打ち出の小槌と思われている気がする
こんな話を10年近くしているので、自分としては改めて以下を伝えました。
- 経済的な不自由はさせてないつもりだし、これからもさせない。(妻の言うような思いやりを示すことは、自分の性格上難しいので)経済的な不安を与えない、仮に自分が死んでも不自由なく暮らせるお金は残せるので、どうかそれで勘弁して欲しい
- 家事はルールとして決められたことは手伝う
もうこの話はどちらが正しいのかを決めようとすると、「あの時はこうだった」、「そんな過去の事、なんで今持ち出すんだ」というマウント取り合いの泥仕合で何の決着も見ないので、改めて上に書いたような自分のスタンスを伝えました。
今、白黒をつけようとするとどうしてもギクシャクしてしまう問題ってありますよね。1972年に「尖閣諸島問題」で田中角栄と周恩来の間で以下のようなやり取りがあったとされています。
田中角栄「この機会に貴国の尖閣諸島についての態度をうかがいたい」
周恩来「この問題は今回は話したくありません。今、話し合っても良いところはないでしょう」
田中角栄「(尖閣に)一言も触れないとなると、(私が日本に)帰国してから何かと難しいことになる。ここで一言触れたので、皆に釈明することができます」
周恩来「海底で石油が発見されたから、台湾と米国が問題を大げさにしている」
田中角栄「いや、もう結構だ。また話しましょう」
周恩来「いずれまた話しましょう」
記事の引用「知られざる1978年の尖閣諸島危機〜幻に終わった「尖閣開発計画」ー怠惰と妥協の自民党史〜」古谷経衡
自分はこの田中角栄と周恩来のやり取りについて知った時に、なるほど、こういう対応もあるのだなと思いました、問題先送り、優柔不断と言われればその通りですが、現代人は色々な問題を複数抱えているので、それを全て解決しようとしたら一生掛かっても終わらないと思います。
離婚
さて、夫婦間の問題に話を戻しまして、妻が私の「経済的な不自由はさせない。ただし、気の利いた思いやりの言葉があなたの期待通り出てくることは期待しないでくれ」という主張に納得したかは判りませんが、仮にそういう折り合いができたとしたら、今後のこのギャップで不毛な議論をしないための一つの方向性、可能性があることに気が付きました。
それは、婚姻関係を解消することです。妻の言う通り、「夫婦でいる意味が見つけられない」ということで衝突が起きるのであれば、その状態を解消(=離婚)するという解決方法です。
モヤモヤが全て解消?
驚いたことに、離婚が成立すれが、自分がこの数年間思い悩んできたことが全て解決するのではないかと思えてきました。
- 一人身であれば、アーリーリタイヤして無職であろうと誰に気遣いをする必要はない
- どんな仕事に就いていても気にする必要はない
- 家族がいるが故に封印していた、海外で暮らしてみたいなという願望が叶う
- 軽キャンパーを買って、一人で全国を回ることもできる(退職が前提)
- 気兼ねなく、自分の趣味にお金を使える
- 極端な話、自分がのたれ死んでも、何ら迷惑がかかることはない
自分が「家族のためを思って一生懸命働いてきた」の「家族」の部分を「自分」に置き換えることで、すごく肩の荷が降りことが判り、昨日の夜中は布団の中で久しぶりに心が踊って興奮してしまいました。
果たさないとならない義務
もちろん、上に書いたような自分の願望だけでことを進めて良いわけではなく、果たさなければならない義務があります。
- 財産の分与
- 結婚後、夫婦で築いた財産は共働きでなくても半分は相手方のものになります。叩かれるのを承知で書きますが、釈然としない気持ちはあります。でも、決まりなら従うしかありません。
- 親権
- 子供をどちらが引取るかという問題もありますが、それ以前にきちんと子育てをして、社会人として自立させる義務があります。ここが一番自分の心のなかで負い目を感じる部分です。妻の言う「仕事にかまけて子育て、教育のことに目を向けて来なかった」という指摘はある面、当たっています。「お父さんは外で仕事で稼いでくるから、子育てはお母さん、よろしく頼む」という前時代的な考えは通じなくなっていますよね。
- 更に自分の子供はちょっとした障害があるので、成人したら自立して生活をできる身になるのかは一般の人と比べると難しい、または時間が掛かるかもしれません。離婚した場合、親権が自分に来る可能性は低い気がしますが、仮にそうなったら自分が会社を辞めて、子供に生きる術を教えることに時間を使うと思います。軽貨物運送を個人事業主で始めて、それを最初は子供に手伝わせて、ゆくゆくは自分で仕事ができるようにする。。。ファミリー・ビジネスですね。
- 養育費
- 普通に考えたら親権は妻が取るでしょう。障害はありますが、自慢の子供ですから子供を取り上げるなんてことは考えられません。そうすると、私が養育費を渡すことになりますが、一般的には大学卒業の年齢22歳まで渡すそうです。私の子供の特別な事情を考えると、もう少し長めに経済的な支援が必要になることも考えられます。養育費の相場なんて全く判らないので後で調べて見ようと思います。
新たな目標の設定
2年前に「アーリーリタイヤしたいな、できるかな?」と考え始めたのもブログで50歳代の方がファイナンシャル・プランナー相談をしている記事を見たというきっかけでした。実際にその想いを妻に伝えるまでに時間がかかりましたが、結果的には副業を始めてみる、ファイナンシャル・プランナーに今後のポートフォリオについて相談してみるという具体的な行動につながりました。
離婚して独り身になるとしたら、また色々なことを考え直したり、習得する必要がでてきます。
- 働き方の見直し
- どんな仕事をいつまでやるのか?
- 金融投資の見直し
- 財産分与で今まで築き上げた資産が半分になるので、ポートフォリオの見直し
- 生活のスキル
- 今更ですが、炊事、家事、洗濯のスキルを身に付けないとならないですね(苦笑い)
まあ、色々苦労することもあるのでしょうが、それより「どこに住もうかな?」、「趣味に気兼ねなく時間が使えるな」「どこかアジアの物価の安い国住んでみようか」とか考えるとワクワクしてきます。
妻に離婚について切り出すタイミングはこれから考えます。近々なのかもしれないし、子供が成人になったら(約8年後)かもしれないし、子供が経済的に自立できたら(約15年後?)かもしれません。伝え方のロジックも十分練るつもりです。
(了)