マスクと「社会の窓」
ここのところ求職中でずっと家にいるので、毎日のゴミ出しをしたり、宅配便の受け取りをする機会が増えました。いずれの場合も外部の人と接する場合、その可能性があるわけですが、その時マスクをしていないとなんとなく不安だったり、気まずかったりする気分になります。こんな風に感じている人は少なくないのでは無いでしょうか?
自分は少し前にマスクをしていないことに気づかないまま、Uber EATSのデリバリーをしてしまったことがあり(1デリバリーだけですよ)、自分で気付いて慌ててドラッグ・ストアに飛び込み使い捨てマスクを購入した経験があります。その時は誰からも注意や指摘はされなかったのですが、マスクしないでピックアップしに来たお店の人はさぞかし驚いていたかもしれませんね。
このマスクをしていなかった時の気まずさと恥ずかしさが何かと似ているなーと思っていたのですが、ようやくその正体が判りました。それは、
「社会の窓が開いていたことに気が付いた時の気まずさ」
でした。赤の他人が気付いた場合、
- それを指摘するべきか?
- 指摘するにしても、どうさり気なく気が付かせるか?
- 見なかったことにして、そそくさとその場を離れるか?
- 破廉恥だ!けしからん!といって糾弾するか?
といった逡巡がありますし、自分で気が付いた時は
- うわぁー、いつから開いていたんだろう?
- 誰か知り合いに見られなかっただろうか?
- なんでチャック上げなかったんだ?
となります。いずれもマスクをしていない人に出会ってしまった時の気持ち、自分で気が付いた時の気持ちに妙にマッチします。
外でのマスク着用はかなり定着していて、小学生はモンスター風の口がデザインされたマスクをしていますし(ハローウィンの季節柄かも)、おしゃれな女性はレースや刺繍が入ったお洒落なマスクをしています。
大事なところを隠す下着は古代からあったようですが、当初は腰回りを一枚の布で巻いていたようです。座り方、足の組み方、風の吹き加減によっては大事なところがポロリしたり、チラリしていたのでしょうね。
外でのマスク着用が完全に定着すると、数十年後には
歴史風俗学者「かつてはマスクで口を隠さないで外出していた時代がありました」
ゲストのタレント「うっそー、信じられな〜い」、「変態じゃ~ん」
なんてやり取りがテレビで見られるかもしれませんね。
(了)